クラシック音楽の歴史「ロマン派時代~近現代」

クラシック

古典派を代表する作曲家のベートーヴェンが1827年に亡くなります。この頃が古典派の終わりと捉えられています。

その後、1900年頃までをロマン派の時代と呼び、ロマン派は前期と後期に大きく分けられます。

そして、第二次世界大戦の終わり(1945年)頃までが近現代の時代といわれます。

ロマン派から近現代にかけては後世に名を遺す音楽家たちが数多く現れ、まさにクラシック音楽の黄金期ともいわれる時代です。

 

ロマン派(前期)時代

この時代の音楽家たちは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらによってひとつの完成形をみた古典派音楽をこれからどのように発展させていくか、そして越えていくかということを追求していきます。

ロマン派の「ロマン」という言葉の意味は、「中世ヨーロッパの恋愛・武勇などを扱った物語」という意味で、ロマン派の音楽とは、古典派時代に完成されたものを下地としてロマン主義の精神で発展させていく、つまり個人の感情や幻想や憧れなどの要素をふんだんに織り込みながら発展していった音楽です。

ロマン主義の運動とは、恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、その動きは文芸・美術・音楽・演劇などさまざまな芸術分野にも及びました。

音楽家たちは、自分の才能を極限まで引き出すためにさまざまなジャンルの芸術を取り込むため、詩や文学、美術などにも目を向け、そこから得るインスピレーションを音楽に取り込もうとします。これはいわゆる芸術の統合化ともいえます。

ロマン派音楽は、その音楽的特色の違いから、19世紀半ばを区切りに前期と後期に分けられることが多いです。

前期に活躍した作曲家として、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ショパンなどがあげられます。

 

市民への更なる音楽の浸透

以前、音楽は教会や王侯貴族のためのものでありましたが、古典派時代に入ると「演奏会」や「印刷業の発展」によって音楽は徐々に市民に普及していきました。

しかしそれはある程度裕福な市民たちが貴族のステータスであった音楽を楽しむようになってきたというだけで、まだまだ限定的なものでしたが、ロマン派時代になると音楽はさらに多くの一般市民社会へと浸透していきます。

この時代には公開演奏会が定着し、お金を出せば誰もが音楽を聴けるようになってきました。

また、楽譜出版も一層盛んになり、それにつれて音楽は一般市民にとってより身近なものとなり、人々が音楽に触れる機会はずいぶん増えていきました。

そうした中で、作曲家たちも王侯貴族に雇われる作曲家から市民を相手に自分の作品や音楽性をアピールする作曲家へと変化し、自らの音楽を深く追求しながら芸術音楽の黄金時代をつくりあげていくのです。

 

批評家の誕生

今まで以上に音楽が広く市民に浸透していくにつれ、作曲家の活躍の場はどんどん広がっていきました。

そうした変化の中で誕生していったのが、批評家と呼ばれる人たちでした。

世間では数えきれないほどの音楽雑誌が創刊され、その中では新たに出版された楽譜はもとより、評判になった演奏会やオペラの公演が批評の対象となりました。

こうした動きの中から批評家のお墨付きを得たものが人々の評価に大きな影響を与え、いわゆる「名曲」や「名演」といったものが生まれるようになっていくのです。

 

音楽学校の創設

大作曲家や名作が誕生していくと、その音楽を保存したり継承することが求められるようになり、必然的に音楽学校というものが誕生していきます。

プラハ(1811年)、ウィーン(1817年)、ミラノ(1824年)、ライプツィヒ(1843年)、ベルリン(1850年)、モスクワ(1866年)など、名だたる音楽学校が次々と設立されていきました。

これまでの音楽家は、自分の作品を自分で演奏して人前で披露するために自らが楽器演奏の習得を学んでいましたが、音楽学校の登場によって、生徒たちはヴァイオリン科やピアノ科といった、もっぱら専門の楽器演奏を習得することを学び、演奏する曲目は過去の優れた作曲家による優れた作品を演奏するようになっていきます。

そしてそれまでの音楽というものは、あくまでも一時だけのものであり、作曲家たちはさまざまなシーンに合わせて次々と新しい音楽を生み出していくのですが、この頃になると後世まで残る名曲をつくるという意識が芽生え、作曲家たちは名作を生み出すことを目指していきます。

演奏会でも、以前はその時だけの曲を作曲家自身が演奏していましたが、この時代になると過去の「名作」と呼ばれる音楽を「演奏家」と呼ばれる人たちが素晴らしい技術で披露するようになっていきます。このことにより、「名演」と呼ばれるものも生まれてくるのです。

こうした動きは作曲家にとって大きな刺激となり、過去の名作に負けないような曲を作ろうと、それぞれの個性を最大限に生かし、より魅力的で多くの人々にアピールできるような特色のある音楽を次々と生み出していくのです。

 

楽器のさらなる進化

作曲家の作り出す音楽は個性に富んでいて、その想像力はどんどん膨れ上がっていきました。

そんな作曲家の音楽構想に追いつこうと、楽器もさらに進化していきます。

それには産業技術の進化も欠かせませんが、技術革新が進むにつれて楽器の種類は増大していき、オーケストラの編成もどんどん大きくなっていきました。

19世紀の多くの作曲家たちが武器としたのは、大音量と高度な演奏技術です。

ピアノやヴァイオリンなども以前のものと比べると大いに改良され、大音量を可能にするさまざまな工夫が施されます。

また、素人では真似のできないような演奏技術も次々に開発され、「悪魔に魂を売って技術を手に入れた」と噂されるほどの伝説的ヴァイオリニストのニコロ・パガニーニや「ピアノの魔術師」と呼ばれた超絶技巧を持つピアニストのフランツ・リストなどは有名です。

 

演奏家の活躍

19世紀において、音楽のプロとアマというものがはっきりしていきました。

プロは、途方もない技術をもってステージ上で演奏をし、アマは客席でその演奏を堪能します。

そしてステージ上で大喝采を浴びるようなスター的演奏家が誕生したのもこの頃です。

このことにより、以前まで作曲家というのは同時に演奏家でもありましたが、この頃になると過去の作品を演奏する演奏家の発表の場が増えていき、音楽家の中でも「演奏家」が重要な地位を占めるようになっていきます。

 

ロマン派(後期)時代

ロマン派の後期と呼ばれる時代は、1883年にワーグナーが亡くなったあたりから、1914年の第一次世界大戦が勃発するまでのわずか30年ばかりの期間といわれます。

しかし、その間にはマーラーやシュトラウスやラヴェルなど、名だたる作曲家が活躍し、音楽史上まれにみるエキサイティングな時代ともいわれます。

実際、今日の演奏会のレパートリーのほぼすべてが、この時代までの作品から成っているといっても過言ではありません。

この時代はひたすら美を追求し陶酔していくような芸術的潮流が全ヨーロッパに広がっていく時代です。

この頃に活躍した作曲家は、ワーグナー、ブルックナー、チャイコフスキー、マーラーなどがあげられます。

 

フランス近代音楽の登場

この時代になって初めて音楽史に登場してくるもっとも鮮烈な潮流といえば、フランス近代音楽の発展です。

以前からフランスのパリといえば音楽の盛んな街でありましたが、そこで活躍していた音楽家のほとんどは外国人の音楽家でありました。

当時のパリは、外国から野心的な音楽家が一旗あげようとやってくる街だったのです。

そんなフランス音楽界が大きく変わるきっかけとなったのが、1870年の普仏戦争における敗北でした。

これが転機となって、1871年にフランスで国民音楽協会というものが設立されます。この協会の目的は、「フランスもドイツに負けない正統的な器楽文化を創ろう」というものでした。

近代フランスの交響曲や協奏曲や室内楽の名作のほぼすべては、この国民音楽協会の設立以後につくられた作品であります。

 

第一次世界大戦の勃発

これまで音楽は人々の築き上げてきた文化の発展によって進化を続けてきました。しかし、そのような伝統的な枠組みを粉々にしてしまう出来事が起こります。

1914年の夏、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発します。

第一次世界大戦では人類史上初めて近代兵器(戦車、ダイナマイト、潜水艦、軍用機など)が使われ、それによって前代未聞の大量虐殺が行われ、ヨーロッパ中が焦土と化すのです。

第一次世界大戦はそれまで築き上げてきた西洋音楽の社会的文化的基盤を粉々に吹き飛ばしてしまいました。この時代は、ある意味、西洋音楽史の最後の輝きといえる時代なのかもしれません。

 

近現代

近代音楽の時代は、およそ20世紀初頭頃から第二次世界大戦の終わり頃までを指します。

ロマン派時代に活躍した作曲家たちの創作活動は、第一次世界大戦を境に影が薄くなっていきました。

第一次世界大戦後、こうしたロマン派の音楽家たちに代わって音楽史の表舞台に登場してくるのが、プロコフィエフやショスタコーヴィチといった若い世代の音楽家たちです。

こうした若手作曲家たちに共通していたのは、ロマン派への極度の嫌悪感だといわれます。

作風のみならず、演奏スタイルもこの時代に大きく変化します。

ロマン派時代の演奏は、できるだけ残響をたっぷり響かせ、ゆったりとしたテンポを好み、気分のおもむくままに頻繁にテンポを揺らすというやり方が主流でした。

しかし1920年代に入ると、残響は薄く、テンポはほとんど揺らさず、感情移入を極力避けたような演奏が流行しはじめます。

彼らの作品を特徴づけるのは、ミシンを踏むような機械的なリズムであり、残響のない乾いた響きであり、手厳しい嘲笑であり、ジャズやキャバレー音楽といった実用音楽の喧騒への好みでありました。

 

第二次世界大戦とクラシック音楽の終焉

第一次世界大戦が終わった1918年頃から音楽家たちは再び音楽への情熱を燃やし、創作活動を続けて束の間の繁栄と享楽を得るのですが、1939年、ヨーロッパは再度戦火にまみれ、第二次世界大戦へと突入していきます。

そしてこの大戦により音楽家の活動は再び抑制され、大戦後には新しい文化の潮流がヨーロッパへ押し寄せる中、それまで培われてきたクラシック音楽の文化は静かにその幕を閉じるのです。

 

まとめ

これまでクラシック音楽の歴史を振り返ってきましたが、西洋においてわずかな期間にその繁栄を極めたクラシック音楽の文化は、ひとまず終焉を迎えました。

しかし、音楽をこよなく愛する作曲家たちとそれを支える多くの人々の情熱によって生み出されてきた『クラシック音楽』の輝きは、今なお衰えることなく、多くの人々の心を魅了し続け、これからも深い感動を与えてくれることでしょう。