クラシック音楽の歴史「中世・ルネサンス時代」

クラシック

クラシック音楽の歴史の中で「中世・ルネサンス時代」はクラシック音楽のルーツが生まれた時代であり、それが徐々に発展し、やがて私たちのよく知るクラシック音楽へと繋がっていきました。

まずは、そんな「中世・ルネサンス時代」を見ていきましょう。

 

中世のヨーロッパ

中世ヨーロッパの時代背景を少し説明していきます。

その昔、古代ギリシャ・ローマ時代には素晴らしい文化が花開きました。しかし、このギリシャ・ローマ文化はゲルマン人の侵入によって一度解体され、その後は諸民族が入り乱れて、しばらくは混沌とした時代が続きました。

そんな中、ヨーロッパを再び統一し、文化圏を形成するようになったのは、カール大帝(800年に戴冠)のフランク王国からです。

この文化圏が現在のヨーロッパのもとになっているといえます。

カール大帝が統一した地域は、今のイタリア北部とドイツおよびフランスのほぼ全域でした。

彼はさまざまな法整備を進める中で、支配地域へのキリスト教化も進め、学者や芸術家を宮廷に招いては文化振興にも積極的に取り組みました。

このように西洋芸術音楽のはじまりは西洋世界の成立とほぼ一致しており、西洋芸術音楽はイタリア・フランス・ドイツを中心に発展してきた音楽といえます。

 

クラシック音楽のルーツ「グレゴリオ聖歌」

中世ヨーロッパは、キリスト教化が進む中で、映画などでも時折描かれる魔女狩りが行われたり、悪魔の憑依や血を流すマリア像といった数々の奇跡が起こったりする世の中で、人々は神の怒りに恐れおののいていたといわれます。

そんな中、教会では神を称え祈りを捧げる聖歌が修道士たちによって歌われていました。

それが「グレゴリオ聖歌」です。

この「グレゴリオ聖歌」がクラシック音楽のルーツといわれています。

しかしこの頃のグレゴリオ聖歌は単旋律のみで歌われていて、呪文とも歌とも区別がつかないようなものであったといわれます。

また、グレゴリオ聖歌には譜面がなく、口頭で伝承される音楽でありました。

 

「グレゴリオ聖歌」の革新

9世紀頃になると修道士たちは単旋律で歌われていた聖歌にもう一つ旋律をつけ加えて歌うようになりました。このことにより、たった一つの旋律しかなかった音楽が二つの旋律を持つようになり、それがやがて三つ、四つと増えていき、より複雑な音楽へと変化していったのです。

そしてもう一つ重要な変革は、歌を譜面に記すようになったことです。

これにはローマにおける聖歌の歌い方をできるだけ正確にフランク王国全土に広めようとする政治的意図もあったといわれています。

当時の譜面はネウマ譜と呼ばれるもので、現在の五線譜とはまったく違っていて、歌詞に節回しをあらわす記号のようなものが書き込まれたものでした。

しかし、これまで口伝えで伝承されていた音楽が未熟ではあるものの譜面に記されるようになり、単旋律で歌われていたものが、二つ、三つと旋律を加え、より複雑で重厚な音楽へ一歩進んだことは、クラシック音楽を形成する上で特筆すべき大きな変革といえるでしょう。

 

ルネサンスの起こり

12世紀から13世紀初頭にかけて頂点に達した教会の権威は、14世紀に入る頃には徐々に失墜をしはじめます。その背景には、十字軍の度重なる失敗や教皇庁の分裂、また、地中海貿易によるイタリア諸都市の富裕化と教会の世俗化などがあるといわれています。

その中で徐々に力を持つようになったのが、イタリアの商人(市民)階級です。

ルネサンスとは、そんなヨーロッパの変化の中で起こった学問・芸術の革新運動です。

ルネサンスの動きは、それまでひたすら神の裁きを恐れ、教会支配のもとに抑圧されていた時代から、再び以前のギリシャ・ローマの古典文化を見直すとともに、目の前にある現世を肯定し、人間性を解放して個性を尊重することにより人間の感情を表へ出そうとする、いわば美しいものを楽しみはじめた時代でありました。

ルネサンス文化は人間賛美の文化であり、そんなルネサンス時代には、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロなど、偉大な芸術家が数多く出現しました。

 

作曲家の誕生

ルネサンスの動きの中で、個性の尊重とともに、作曲家と呼ばれる人たちがあらわれました。

それまでの楽曲では誰が作ったかなどあまり気にされていませんでしたが、自我が芽生える中で、楽曲に自分の名前を署名する人々があらわれてきたのです。

ルネサンスの時代には、大勢の作曲家が生まれました。

そして作曲家の誕生とともに、楽曲に「作品」という概念が生まれはじめたのです。

それまでは単にその場を楽しませるための音楽でしたが、後世にまで残る「作品」として音楽を作るという意識がこの頃に生まれたといえるでしょう。

 

オペラの誕生

ルネサンス後期の16世紀半頃になると、イタリアのヴェネツィアを中心とした作曲家たちは、祝典的な性格を持った器楽合奏曲や教会音楽を作曲し、合唱やオルガン、器楽合奏などを動員して劇的な音楽を生み出していきました。

このような動きに呼応するように、同じ頃、イタリアのフィレンツェでは一つの音楽運動がはじまります。

それは、『古代ギリシャの音楽劇の再興』を意図したものでした。その際、ギリシャ悲劇の台詞はすべて朗唱調で歌われていたと想定し、すべてのセリフを音楽として歌う劇を作り上げたのです。

これが今日のオペラの原型となるものといわれます。

その後、オペラは19世紀初頭までクラシック音楽界最高峰のジャンルとして君臨し続け、オペラを中心に音楽も更なる飛躍を遂げていくのです。