古典派時代は、一般的に1730年代から1820年代までといわれます。
この時代を代表する作曲家といえば、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンがあげられます。
時代背景
18世紀半ばから、イギリスでは産業革命が起き、急激な経済成長が進みました。
そしてこの産業革命と同時期、1776年にはアメリカの独立宣言、1789年にはフランス革命が起こり、市民階級の間では価値観が大きく変化し、資本主義が推進されていきます。
そんな産業革命の中で増加していった富裕な市民たちは、それまで貴族のたしなみとされていたクラシック音楽を聴くようになっていくのです。
古典派時代の音楽的進化
古典派時代において、現在のクラシック音楽では当たり前のように用いられているさまざまな音楽形式が確立されていきました。
音楽の主役は旋律
バロック時代の大きな特徴として、曲全体をリードするのは旋律を支える低音の和音でした。すなわち、曲は和音の流れが基本となり、その上で旋律が色を添えるといった感じで曲はつくられていました。
また、その和音の流れは緻密に計算されたもので、曲自体をとても重厚なものにしていました。
それが古典派時代になると、バロック時代の重厚な音楽はだんだん敬遠されるようになり、人々の趣向は和音にしばられた音楽から、より自由で躍動するメロディーが主役の音楽へと移行し、低音和音が曲を主導する音楽から曲を彩る旋律が曲をリードする音楽へと変化していったのです。
趣向の変化にともない、古典派時代の低温和音は、そっと寄り添うような目立たない存在となり、その反対に主役となる旋律のメロディーはより特徴的なものへと進化し、以前にも増して聴く人の耳に残り、多くの人々が自然と口ずさめるような魅力的な音楽になっていきました。
ソナタ形式の確立
古典派時代に確立されたものの一つとして、ソナタ形式があります。
ソナタ形式は、基本的に音楽を提示部(第一主題と第二主題)・展開部・再現部(第一主題と第二主題)の三つの部分からつくりあげます。
提示部は文字通り提示する部分で、そこでは二つの主題が提示されます。この二つの主題はそれぞれが別の調性でつくられ、調的には対立しています。
次の展開部では、調性の間を音楽が揺れ動いたり不安定になったり主題がバラバラになったりと、さまざまな変化が展開されます。いわば提示部で示された素材をさまざまな形で調理する場が展開部であり、その部分はまさに作曲家の最高の見せ場といえます。
そして再現部では二つの主題が再び戻り、ここでは二つの主題が同じ調性になります。つまり、主題の調的対立が解消されるのが再現部です。
このようにソナタ形式は音楽による「対話」であり、「議論」および「展開」であって、この時代に生み出されたもっとも輝かしい音楽形式といえます。
貴族のための音楽から市民のための音楽へ
18世紀まで、オペラなどは王侯貴族が催す祝典の一環であることが多かったため、オペラ劇場に一般市民が足を踏み入れることは難しかったと考えられます。
音楽はおもに宮廷サロンのようなところで演奏されていて、バロック時代の音楽はあくまでも王侯貴族のための音楽であって、誰もが気軽に音楽を聴くような環境ではありませんでした。
よって、一般的な市民(庶民)が音楽を耳にする機会はごく限られていたのです。
それが古典派時代になると産業革命やそれにともなう大きな変革により、徐々に市民が音楽を聴くようになっていきます。
その大きな要因の一つとして、広く一般に公開された演奏会が催されるようになったことがあげられます。
当時、演奏会では、切符を買えば誰でも好きな音楽を聴けるという民主的な制度が少しずつ広まっていきました。
そんな公開演奏会がいち早く普及していったのはイギリスで、これは市民革命によって貴族階級の没落が早かったことが関係しているといえます。
また、フランスでも1720年代頃から定期的な演奏会が催されるようになりました。
ウィーンでも18世紀後半になるとオペラが上演されない期間に宮廷劇場を作曲家に貸し出すことが行われるようになり、これがいわゆる予約演奏会といわれます。
こうしたことから作曲家が自主的に演奏会を主催して自身の利益を得られるようになっていったのです。
また、もう一つの要因として、楽譜印刷業の繁栄があげられます。
楽譜の印刷業が盛んになるにつれて、お金を出せば誰もが好きな楽譜を買って自分の家で楽しむことができるようになりました。
今でこそクラシック音楽は聴くものというのが一般的かと思いますが、当時の音楽愛好家たちは、好みの音楽の楽譜を買ってはそれを自宅で自ら演奏しながら楽しんでいたといいます。
これらのことから、音楽は、自らの権威を誇示する王侯貴族のための音楽から、音楽そのものをこよなく愛し認めてくれる市民の音楽へと移り変わり、さらに発展を遂げるのです。
モーツァルトやベートーヴェンは、そうした市民を顧客とする、ごく初期の音楽家でした。
交響曲
それまで貴族に仕えていた作曲家が「演奏会の開催」と「楽譜出版の繁栄」を通して自立する機会を得て、一般市民へ自分をアピールすることができるようになりました。
また、産業の発達にともない、楽器自体も大きな進化を遂げます。
そんな好機を最初につかんだのがハイドンです。
ハイドンは公開演奏会で大成功をおさめた最初の作曲家でした。
そして公開演奏会におけるハイドンの大成功と密接に結びついているのが「交響曲」です。
交響曲は最先端の楽器の迫力を存分に味わうことができ、「演奏会」と「音楽を純粋に楽しむ人々」によってますます発展していきました。
それまで音楽の中心といえばイタリアであり、オペラでしたが、交響曲の発展につれて音楽の中心はオーストリアのウィーンに移行し、その黄金時代が到来するのです。
三者三様、作曲家の違い
この時代を代表する音楽家といえば、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンですが、その活躍していた時期はかなりずれていて、それぞれの音楽的性格もかなり違うようです。
いうなれば、モーツァルトは「革命以前の人」、ハイドンは「革命後もしばらく活動していた人」、ベートーヴェンは「革命後の人」といえます。
この三人を比べた時、ベートーヴェンが他の二人(ハイドンおよびモーツァルト)と決定的に違うのは、貴族世界の音楽と完全に決別している点だといわれます。
ハイドンとモーツァルトの音楽はそれまでの宮廷音楽からずいぶん進化しているとはいえ、決して宮廷マナーからは逸脱しませんでした。
しかし、ベートーヴェンは上品な宮廷音楽からは想像できないほどの常軌を逸するような感情表現を全面に押し出す音楽表現をします。
そんなベートーヴェンは、古典派時代をもっとも象徴する作曲家であり、その時代の集大成となる音楽家であるともいえます。